産業革命は、今から200年以上前のイギリスで始まりました。綿工業の進展に端を発する技術革新は、綿の大量生産を可能にする機械工業、機械の素材である鉄を生産する製鉄業、製鉄業や蒸気機関を支える石炭業にまで波及し、社会を大きく変化させました。
そのような中、1850年代蒸気ボイラーが爆発する事故が多発していました。負傷者や死亡者がでる事故もあり、原因調査や再発防止のための検査が強制化されました。しかし、政府には十分な検査ができる技術者がいなかったのです。そこで、立ち上がったのが産業施設のオーナーたちです。ドイツのElberfeldとBarmenに蒸気ボイラー検査協会(Verein zur Überwachung der Dampfkessel)を結成しました。彼らは技術についての情報交換や定期的な検査を実施するなど、積極的に安全のために行動を起こしていました。
ところが、1872年5月、プロシア(ドイツ北部の旧王国)の法律により、検査協会に所属するボイラー検査官は検査業務から外れることになりました。それでも、安全を確保するために約80名のボイラー事業者は、1872年DÜV(Rheinischer Dampfkessel-Überwachungsverein Cöln-Düsseldorf)を結成。
その後政府は、安全性検査の業務をこれらの検査協会に委譲するようになりました。また、蒸気ボイラーをきっかけに、その他の製品についても安全性検査を行うようになったのです。例えば、車の定期検査、日本でいう”車検”です。テュフは車検を行うことで最も良く知られています。「テュフに行く」(“zum TÜV gehen”)は、車検に出すと同じことです。現在では、車をはじめあらゆる製品を試験、検査するグローバル企業となったテュフ ラインランドですが、主要サービスのひとつが、実は「圧力機器の輸出入のサポート業務」です。第一次産業革命時代から見られるように、ボイラー・圧力機器の技術に関する知識、経験、そして安全性への姿勢は今でも変わりません。
次回からは圧力機器の規制について詳しく取り上げます。